本文へ

箭幹八幡宮

鎮座地
東京都町田市矢部町2666
電話
042-797-0447
FAX
042-797-0571

大きな地図で見る
ホーム>境内案内

境内紹介


新設の大鳥居をくぐると、100メートル以上もある長い参道が続きます。参道の両側には、うっそうと樹木が生い茂り、春は芽吹きの力強さに、生きる力を授け、夏は木陰の下で、一服の涼を喫し、秋は紅葉の美に、しばし時を忘れ、冬は梢に群れる小鳥の鳴き声に、耳を傾けつつ歩を進めると、やがて木造の二の鳥居、「両部鳥居」の前に至ります。両部鳥居は、明治以前の神仏混淆時代の名残りで、貴重な存在です。
二の鳥居をくぐると、左手に「神楽殿(かぐらでん)」がございます。「神楽殿」は、名称どおり、祭礼の時神楽や演芸を奉納する舞台となる建築物ですが、前面の広庭は町田市指定「無形民俗文化財」である、矢部町獅子舞保存会の「獅子舞」を、祭礼時に奉納される場にもなっております。ちなみに、矢部町の獅子舞は、その年の当番の家、「獅子宿」から奉納舞いの場所までを「道行」と言い、奉納舞いを「御庭舞」と言い、1570年代、戦国乱世の時代から絶えることなく継承されてきたものでございます。

右手には「手水舎」と「鐘楼」があります。江戸時代の代官、高木伊勢守という方が「釣り鐘」を献納したと言われていますが、当時の「釣り鐘」は、昭和16年、太平洋戦争のため共出させられ、現在の鐘は昭和28年に氏子崇敬者各位の寄付により献納されたものです。神社に鐘楼、これも神仏混淆時代の名残りと言えるでしょう。

鐘楼横の建築物の中には、氏子木曽町の「大神輿」が格納されております。毎年、秋の木曽町のお祭りは、当神社の出張祭でございまして、白鳥を形どった白衣を身につけた担ぎ手が、整然と町内を巡行する姿は華麗そのものです。なお「大神輿」は大正初期の作で、装飾も華やかで立派なものです。毎月第1第2の日曜日に保存会の方が扉を開けて外から見学できるようにしています。

正面の朱塗りの建築物は、当神社のトレード・マークとも言える「随身門」です。町田市の「有形文化財」に指定されておりまして、入母屋造りで銅板葺き、正面は唐破風付で江戸時代中期の建築です。「随身門」とは、神社外郭の門で武官姿の随身像を左右に安置した門のことを言いますが、寺の仁王門の「仁王」にならって構えられたとも言われています。社殿寄り中央上部には「卍」が刻まれています。これも神仏混淆の名残りです。
「拝殿」前、右側に「子育て獅子」の像があります。元神社総代 故 鈴木喜市氏の奉納によるものですが、東京日本橋御鎮座の水天宮様の「子宝犬」の像と同一作家の手によるオリジナル作品です。水天宮様は安産の神様として有名ですが、当神社は、赤ちゃんの初宮詣の時、獅子の親子のように仲睦まじく、健やかな成長を願う親心に答えるために設置されております。初宮詣にいらっしやった方は、ほとんど全員、獅子親子の頭をなで、記念写真を撮って帰られます。
「拝殿」の前に立ち、見上げると、立派な彫刻が目に入ります。正面に高貴な人物の立像、その左右に従者と思われる人物がひざまずいています。左右に回っって見上げると、「力太郎」(宮大工 馬場武氏が参集殿新築中に命名)の木像が、昼夜を問わず両腕を伸ばし、懸命に屋根を支えています。大正4年の建築で、築100年近くになり、老朽化 が心配されています。

「本殿」は総ケヤキ造り、一間社流れ造り、「覆殿 」で雨風を防いでいる ので保存状態は良好。建立年代は、本殿床下内部に墨書がありまして 寛政6年(1794)であることが判明しています。

ページのトップへ